謝ることができる人の利

ブログの更新が3日空いてしまいました。
というのも、今日中にとあるプロジェクトのアウトプットをある程度のレベルまでFIXさせなければならず、連日体力が切れるまで会議をしていました。昨日はAM5:30まで!辛かった〜。

で、本題。

今日は久々に、ライフハッキングなことでも書いてみます。
お題目は「謝ることの効果」。

日本人はよく謝ります。僕も例外なく。

例えば、ちょっと体が触れてしまったとき。
「ごめんなさい」と言ってしまう方が大半でしょう。もちろん僕も。
それはきっと聖徳太子の『和をもって尊しとなすべし』というところから起因している日本人の根本的思想「和」があるから。

でも諸外国は違う。

特にアメリカでは、同じシチュエーションで「Sorry」ではなく、「Excuse me」と言う(「失礼」)。謝った方が全ての責任を負わなければならないためです。
だから、外国へ行くときは必ずその国の「Excuse me」を探し、「Sorry」と言わないようにする。

でも謝ることでの効果ってあると思います。

例えが体を触れたことにしていると判り辛いかもしれませんが、更に例えば、とあるタスクを自分ともう一人で進めて行く中でミスが発生した場合かつ自分が原因の1/3がある場合(このときの原因に関する割合は、自分で自分を客観的に価値判断したときの数字とする)、謝ることができる人は「ココとココは自分が気づいて実行すべきでした。申し訳ございません。と言える人と、もう一人のミスの方が2/3を占めているんだから、謝る必要がない、と思う人では、ミスの原因追及→再発防止というプロセスは発生しない。

謝るからこそ、自分から派生した原因を捉え、確実に起こさないという思考プロセスになり、心身の成長に繋がると思います。

最近、会社の後輩で、ミスっても謝らない人間が増えている。

それによってミスっても謝らない言い分(というか言い訳)を考える能力だけは長けて行く。それは自省はもちろん、本質的な解決や会社の風土に合致した思考には到底結び付かない。

こないだも一時間かけて誘導尋問をかけましたが、ダメでした。一年前はきちんと謝ることができる人間だったんですが、残念です。「謝れ!」と言って謝らせても、彼のためにはなりませんしね。

どんな些細なことでも自省し、その思いを「謝る」というアクションで相手に伝える。それが「和をもって尊しとなす」ことかな、と。